-エピソード]U-(番外編05) 

***** 

湯船に浮かぶように出ている自分の胸。 
いつものように半身浴をしながら目に入ったそれに違和感を感じた。 
しっとりと汗を滲ませたそこに、つい数日前まで有った筈の何か。 

「…傷…かぁ…」 

あの日お風呂場の鏡の中には、両胸に血の滲んだ爪痕の傷、 
それを覆うように痣みたいな濃いキスマークを点けた私が居た。 
そしてシャワーを当てて再び強くヌメッた、脱いだパンツやあそこにあったえっちの名残。 

きちんと両想いになれた記念日なのに… 
気持ちも身体も全てがぴったりと合わさって溶けあえたのに…… 

『あら、あさ美ちゃん。愛ねぇ、涼しいお婆ちゃん家で勉強するからってついさっき出かけちゃったの。 
夏休み一杯、あっちに居るって。土砂降りなんだから明日出かければいいのにねぇ』 

『あ、あの…学校の補講は…?』 
『来週からは自主参加とか言ってたけど…違うの?』 
『え?や、…まあ、そうなってるみたいですけど…』 

返って来ないメールや繋がらない携帯に焦れて、家の電話にかけて言われたその言葉。 
夏季補習はまだ残っているのに、そこまでするのは私に会わないようにする為としか考えられなかった。 

『あーし達、両想いでええんよね』 
恥かしそうに俯き気味でそう言った愛ちゃんのあの表情。 
絡めた指先。ちょっと触れただけのキス。 
そして愛ちゃんの携帯で撮ったこの写真。 

お湯で濡れないようにスーパーの半透明な袋に包んだ携帯の画面には、 
教室を背景にして笑顔でホッペをくっつけた二人が居る。 

その二人は嬉しそうで、そして幸せそうで… 

自惚れかもしれないけれど、愛ちゃんは私を好きだった筈。 
私があの日トイレで言った、「愛してる」って言葉に泣き笑いした表情。 
しがみ付いてくれたあの腕。体温。それだけで激しくイっちゃったあのキス… 
お互いに点けた自分の印…… 

もう3日も見ない愛ちゃんの姿みたいに、私の胸から消えちゃったその印。 
「愛ちゃん…」 
ボソッと呟いた程度の声が、お風呂場の中で無駄に反響した。 
『なぁに?』 
そんな愛ちゃんの甘えるみたいな声とは違った響きが頭の中で木霊する。 

『…あ、あーし達、女同士やしの。変やって、やっぱり』 
変かもしれない。でも好きなんだもん… 

『あさ美ちゃんにはA君居るし、の』 
A君とは終わりにするってちゃんと言ったのに… 

『本気で好きやった…』 
何で…何で過去形になっちゃうの? 

頭の中でいつまでも木霊する愛ちゃんのあの日の声。 
そして同じ答えや質問をし続ける私の心の中の声。 
聞きたくないそれらの声を消すように、私はお湯の中に耳まで沈み込んだ。 

布団の中に入るとまた聞えて来るその声。 
あの日以来、夜になると毎日聞えるその声に、気持ちは落ち込んでいくばかりだった。 
そしてその声を消そうと、そして無理矢理疲れて眠りにつこうと自分の身体をまさぐる毎日。 
愛ちゃんが置いて行ったおもちゃまでをも使って…… 

その行為で瞼に浮かぶ愛ちゃんは、優しく笑ってくれながら囁きかけてくれる。 
『もう乳首勃っとるよ』 
胸に手を這わせると聞えて来るその声。 

『ここ、濡れとるよ』 
パジャマの中に手を入れると聞えて来るその声。 

『もっと感じてええよ』 
『あーしのあさ美ちゃんの匂い。誰にもやらん』 
『声、聞かせて』 
全身の熱と、指に絡むヌメりが増える毎に聞えて来るその声。 

「愛ちゃん…気持ちイイよ…もっとメチャメチャにして……」 
自分の淫らな匂いが鼻に届くと、そう呟いちゃう自分… 

『あさ美ちゃんえっちやのぉ』 
「だって…」 
『入れるで…』 
「はぁん…」 
中をゆっくり動く指。けれどポイントは擦ってくれなくって…… 

「もっとぉ……ポッチでもいいから…」 
『おねがい。は?』 
「愛ちゃん…おねがい……」 
私のその声に、濡れた指がポッチを潰す… 

「はんっ!…いいっ…よぉ………中も…中のスゴイのもぉ…」 
『あさ美ちゃん。やっぱりえっちや』 
笑いも含んだそんな声と共に、耳に届く電動音。 
温度の無いそれが、私のあそこを大きく広げながら奥へと突き進んで来る… 

おもちゃを入れられる事に沸き上がって来る恥かしさ。 
そしてあの日愛ちゃんにされて以来感じ始めた挿入時の感覚。 
中に入れられるだけで腰をくすぐるみたいな快感の漣が広がって行く。 
奥に進んでくる毎に、その漣は熱の塊となって腰の奥から背中をジワジワと蝕んで行く… 

「はぁぁぁぁっ…んっ…ぁ…ん」 
ポイントに当らないまでも、その振動と存在感は全身を急激に熱くしてくれて… 
おもちゃで感じちゃう自分の身体が恥かしくって… 
だけど、そんなえっちな自分の姿を愛ちゃんに見て欲しくって、大きく脚を開いて腰を突き出す私…… 

『ポッチも一杯擦ってあげるっ』 
「…お…お願い……あっ!あっ!…はんっ!……」 
『イってええよ…顔見せて…』 
乾いた指も、乳首を挟みながら胸を柔らかく絞ってくれる… 

「愛ちゃん…ダメっ…イっちゃ……ぅ」 
激しく、だけど優しくポッチを擦りまくる濡れた指先。 

「はっ!…ぅんっ!……ぁぁぁぁぁ…」 
『あさ美ちゃん。好きっ…あーしの…あーしだけの…』 
頭の中でその声を聞きながら霞んでいく意識。 

『アイシテル』 
「ぁ…ぁ…っ!……わ、私も…愛ちゃ…んっっ!!」 
『あさ美ちゃん。大好き』 
「……愛ちゃん……」 

…… 
… 

フワフワする身体の奥で、振動したままのモノがちょっとくすぐったいけど心地いい余韻を与え続ける。 
股間に残るその存在感は、私がイった後もダラダラと中を弄るのが好きな愛ちゃんの指みたいで… 

『中、動いてる』 
『あさ美ちゃんのお○んこ、あーしの指離したく無いって言っとるみたいやの』 
「…離さないもん」 

それらの声と股間に残る振動をぼんやりと感じながら、 
そして愛ちゃんのちょっとえっちな微笑みを瞼の裏に映しながら、今日の私も夢の中に落ちて行った。 

漂ってるえっちな匂いの中に、愛ちゃんの体温を探しながら… 


********* 

「……ん…夢」 
あそこからの振動に目が覚めた。 
低い音を鳴らしたままであそこに入ったままのおもちゃ。 
中の感覚はすっかり麻痺していながらも、なんとなく火照ってる身体。 

「ふぁあ」 
うつ伏せになって、汗でちょっと湿気っぽい布団に顔をつけたままで思わずため息をついた。 

入れっぱなしのせいなのか、今日も愛ちゃんと夢の中でえっちしていた。 
夢の中で激しく優しく私を責めながら微笑んでくれた愛ちゃん。 
丸裸でタオルケットもなにも掛けてない状態と、お尻のあったあたりの粘り気、漂ってる匂いで、 
あの夢が現実のモノみたいに感じてしまう。 
だけど夢は夢。そこから覚めれば愛ちゃんはどこにも居ない。 

片膝を胸まで引き上げ、後ろ手に半分程出ていたおもちゃを奥まで押し込んでいく。 
「つっ!…あ…いっ…ちゃん……っ…ぁ…ぁん…」 
殆ど乾いてるあそこにちょっとだけ走る痛み。 
あの日愛ちゃんにされたみたいなそれ… 

そうする事で再び聞えて来る愛ちゃんの声。そして瞼に浮かんで来る顔、手、胸、あそこ。 
痛みを和らげる為にポッチを撫でればすぐさまスムーズに滑り始めるおもちゃ。 
吹き出て来る汗。 
匂い。 
快感。 

現実逃避してるのは解ってる。 
愛ちゃんを求めながら快感を貪るみたいなこんな自分も嫌だった。 

でも、えっちな行為の外には愛ちゃんは居なくって、 
それを捕まえようとするみたいに頻繁にそんな行為に走る状態になっていた。 

昼夜を問わず、自分の部屋でも、お風呂場でも、学校の中でさえも。 
入れたままで寝るのも夢で愛ちゃんに会えるから… 

朝、目が覚めて、入れたままのおもちゃで自分を慰める。 
汚れたそこをティッシュで拭きながら、こんなはしたな過ぎる自分に幻滅する。 
けれど、ベールみたいに肌に貼りついた汗と臭いをシャワーで流しながら、 
ボディーソープでヌメる指はお尻の窄みを撫でてしまう。 
幻滅しながら。こんな自分を罵りながら。愛ちゃんの舌の感触をそこでも思い出しながら… 

学校の2時間目が終った休み時間にはトイレで声を抑えながら… 
放課後も同じトイレでまた…… 
家に帰ったら裸になって、何度も何度も…… 

目を瞑って身体をまさぐれば素直に出てきてくれる愛ちゃん。 
だけど現実はやっぱり冷たくって… 
私を包んでくれる温もりや甘い汗の匂い、胸が熱くなるあのキスもどこにも見当たらない。 
それは携帯のメールボックスの中にさえ出て来てくれなかった。 

********* 

相変わらず暑い日が続く中、学校での補講は続いていた。 
あまりにも多過ぎる行為のせいか、だるい身体を引き摺りながらの日々。 
始めの頃は全員出席してた教室も、2週も経てば虫食いみたいにポツポツと空きが出来ている。 
同じ大きさの虫食い穴なのに、愛ちゃんのそこは余りにも大きく見えて寂しかった。 

そしてあの日を毎日思い出させるみたいに降ってくる夕立。 
雨の匂いの中に愛ちゃんの匂いを探すけど見つかるわけも無く、 
胸にあった爪痕も消えたせいで、愛ちゃんを感じれるのは、 
今だに部屋の隅の物干しに仲良くぶら下がってるあの日の私の白いブラと、愛ちゃんの黒いパンツだけになっていた。 

「愛ちゃんずるいよね〜」 
休み時間に聞こえてきた「愛ちゃん」という言葉に振り向いた。 

「あたしたち熱くて死にそうな思いしてるのにね」 
「どうせ勉強してないんだよ。愛ちゃん」 
「垣さんもさっきの授業中寝てたじゃん。同じ同じ」 
「や、あ、あれは文字が見えなかったんだって!だからこう顔を近づけて…」 
「え〜?視力メチャメチャ良いじゃんよお〜」 
「な、ま、まこちーは携帯弄ってたじゃん。学校の中で電源入れるのダメじゃんか」 
「だって一応夏休み中だもん」 
「でも学校だし授業中だから」 
「…変なとこで真面目だよね、垣さんて。なんか愛ちゃんみたい。トンチンカンだし」 

マコの最後の言葉に続けるように、独特のイントネーションで『なにおー』と空耳が聞こえた。 
たまたま周りに男の子が居ないからか、 
スカートの裾をパタパタやって中に風を送り込みながら、そんな会話をしてる二人。 

いつも常につるんでいた愛ちゃんが居なくても、特に変わらない二人が羨ましい。 
何か足りない感じは二人もしてるんだろうけれど、 
こうして見ている限りでは気持ちを落ち込ませる程の物ではなく、どこかそれが冷たくも感じられた。 

片や私は「愛ちゃん」という単語に敏感に反応し、空耳まで聞こえる始末。 
さっきの休み時間も、愛ちゃんに会う為にトイレであそこを弄っちゃったし。 

マコもお豆も何でそんなに明るく会話で来ちゃうの?愛ちゃんが居ないっていうのに… 
私達の愛ちゃんが居ないのに… 
私の愛ちゃんが…… 
私の……… 

……… 

…なんか重症だな。私。 

昨日のテレビの話題に移った二人の会話をぼんやりと聞きながら、冷静になった私は1人苦笑い。 
汗を掻いて湿っぽい太ももの位置を変えるように、少し腰を浮かせて椅子に座り直した。 
ふんわりと漂った自分のコロンに混じる体臭がちょっと気になった。 

「あ!そういやさっき、愛ちゃんからメール来たよ」 
せっかく冷静になったのに、マコのその声にまたざわつき出す私の心。 

「え?授業中なのにメールよこしたの?愛ちゃん」 
「『熱いよー』って私がメールしたらすぐ戻って来た」 
「なんだ。愛ちゃんが突然メールよこすなんておかしいと思ったよ。で、何て?」 
「あっちはちょっと寒いくらいだって〜。こっち来て勉強がはかどってるって言ってた」 
「いいなぁー。わたしも涼しいとこだったら頭も回るんだけどなー」 

何でマコにだけ…それもスグにって… 
私もあの日以来、数えられないくらい愛ちゃんにメールした。 

『別れない』 
『好き』 
『愛してる』 

そんな一方的な言葉もやめて、他愛の無い日常の事に変えても返事は返ってこなかった。 

強く湧きあがってくる寂しさ。そしてマコに対する理不尽な怒り。嫉妬。 
それに加えて鼻の奥にツンとする感覚が湧いて、慌てて二人から顔を背けて机に突っ伏した。 

ザワザワしてる教室の中なのに、ハッキリと耳に届いて来ちゃう聞きたく無い二人の声。 
…愛ちゃんがよこしたって言う他愛の無いメールの内容や二人の笑い声。 
どこか期待していた私の名前も、その話題には全く出て来ない。 
そして会話の内容はまたテレビの話題に戻っていった。 

『どぉしたぁ〜?』 
『なんか今日おかしいざ』 

マコもお豆も気付かないほんのちょっとの私の変化にも、 
敏感に気付いてくれる愛ちゃんの声が頭の中に響いて来る。 

解ってるくせに……せめて一言だけでも………空メールでもいいのに………… 

愛ちゃんの声と私の声。それがリピートする毎に、どんどん落ち込んでいく私の心。 
それをからかうみたいに聞こえちゃう二人の笑い声。 
それに苛立ち、そう感じちゃう我侭な自分にも腹が立ち、もうジッとして居られなかった。 

もう、嫌… 

私は鞄を持って、ザワザワとしている教室を重い足取りのまま抜け出した。 


喧騒から遠ざかるにつれて苛立ちは少しづつ収まって、昇降口に着いた頃には殆ど冷静になっていた。 
その代り、こうしていると一人ぼっちという事を嫌でも自覚させられる。 

真夏の熱気はあるものの、誰も居ないせいか僅かに涼しく感じる昇降口。 
そこに敷かれたプラスチックのスノコががらんとしたスペースに軽い音を響かせた。 

「…」 

カツン!…カコッ! 

「……」 

カツン!……カコッ! 

そこに乗る度に音を響かせる歪み。 
多分知っていながらも、気にしていなかったその音が妙に大きく聞こえる。 

……ココって、こんなだったっけ? 

その発見が特に意味も無く気になったせいもあったけど、 
常に私の傍にあって、有る事が当然のように感じてた香りや体温。 
追い掛けて来て私を呼んでくれるそれらを持ったその人の声を待つように、 
名前の入った下駄箱の前で暫くその音を鳴らし続けていた。 

………カコッ! 

何か大事な事を思い出した気がした。だけど、それがどうしても形にならない。 
――――それが日常となっていて、いつの間にか意識しなくなっていた何か。 

カチャッ 

その何かを探すように下駄箱を空けた。 

中には、揃えられた上履き。 
暗がりの中で持ち主をただジッと待っているそれ。 
私と同じ日数を一人ぼっちで過ごしてるそれ。 
その人の体温を感じていたそれ… 

その靴をぼんやりと眺めながら、自分の左胸に手が伸びた。 

えっちの後、身体を離す時に自分の印みたいに点けてくれたキスマーク。 
左胸のそれは、愛ちゃんと関係を持って以来、痣みたいに消える事なんて無かった。 
それさえも消えちゃったけど、愛ちゃんの愛撫のパターンは私の身体に刻み込まれてる。 

愛ちゃんがくれる快感も、愛ちゃんの匂いも、温もりも、溢れるくらいの優しさも… 
それら全てが頭にも心にも目一杯刻み込まれてる。 

癖のある筆跡を自分自身に記されながら暗がりに放置されている上履きさんが、 
どこか今の自分に重なって見えた。 

「ごめん…ね」 

ポツリと自分の口からそんな声が零れた。 

…何やってんだろう?わたし。 

自分の足に履かれてる愛ちゃんの上履き。 

暗がりから出してあげようと思って掴んだのは覚えてる。 
だからって、何で私が履いてるんだろう? 
それに、「ごめんね」って何で言ったんだろう…… 

顔を上げて目を向けた愛ちゃんの下駄箱には、その替りみたいに私の上履き。 

今更、愛ちゃんの持ち物を身に着けたところでどうなるものでもない。 
それで愛ちゃんを感じれるとか落ちつくだとかなるならば、 
今も交換した、元は愛ちゃんのパンツを穿いているのだから、そうなっていても良い筈だった。 

その代り、いつもの如く始まった幻聴。 

『あーっ!あーしの上履き履いて何やっとんの?』 
『あさ美ちゃんストーカーみたいやのぉ』 
『あーしもあさ美ちゃんの上履き履いちゃおーっと』 
『あーしもストーカーになってもぉた。あひゃっ』 
『他に何交換しよっか。…制服はサイズ違うもんのぉ……』 

『離さんでの』 

…離さないって言ったっしょ。…何で?愛ちゃん…… 

やだよ、もぅ…辛いよ……名前呼んでよ……愛ちゃん…… 

視界の中で滲んでいく足元。そこにマジックで書かれた名前。 

『あーしの事も…2番で―――――――― 

…ぇ? 

さっきまで形にならなかった大事な事って―――――――― 


その瞬間 

「紺野。大丈夫か?」 

愛ちゃんの声の幻聴と、ほんの一瞬形になりかけたその事を掻き消すように、 
聞き覚えのある落ち着いた声が聞こえた。 

何故だか力が抜けていく。 
たった今まで求めていた相手とは違うのに、安心感が溢れてくるその人の声。 
包んでくれるみたいなその人の声… 

カツン!… 

さっきよりも格段に小さく聞こえたスノコの鳴き声。そしてチクリとした胸。 

「お、おい…紺野……」 

すぐ傍で響いたその声に顔を上げた。 

その人の心配そうな顔が視界に入った途端、あの日以来どうしてもジンワリとしか出なかった涙が、 
まるでダムが決壊するみたいに一気に溢れ出してきた。 



********************* 

「じゃ、今日はありがと…ね」 

久しぶりにお邪魔したA君の家の玄関先。 
自分に着いた彼の移り香が、嬉しいのと共に物凄く恥ずかしい。 

その照れと、数時間ぶりにまた暑い日差しの中に戻る事への苦痛を感じながら、 
自分の前髪を弄りつつ扉に手をかけた。 

「あ、ああ。………あ、あのさ…」 
「ん?なに?」 
「…」 

無言のまま一瞬私から目を逸らした彼が向き直った。 

「お、俺なんて大して役に立たないかもしれないけど…その……力になるから 
……守りたいから。や、絶対守るから。………紺野の…こと」 

耳を赤くしながらも、私の顔を真っ直ぐ見ながらそう言い切ったA君がまた目線を逸らした。 

嬉しい言葉に胸が熱くなる。勿論顔も。 
だけど同時に、それとは逆の感情が胸を刺した。 

あ… 

…同じ事を言われた気がする。言った覚えもある。 
そしてその人は私よりも寂しがってる筈。 
一人ぼっちで。誰にも寄りかかる事が出来ないで… 

チクチクする胸の痛みと共に、数時間前に形になりかけた大事な事を再び思い出した。 

彼の向こうに愛ちゃんの下駄箱が見えた気がした。 
暗がりの中にポツンと置かれた上履き。 
それが、寂しいのに一人で我慢してる愛ちゃんに見えた。 

『A君とは終わりにするから』 
『愛ちゃんだけ』 
『絶対に離さないから…』 

愛ちゃんにそう言ったのに私って… 
愛ちゃんにそう言ったのにA君に甘えてる私って…… 

―――A君とは終わりにしなきゃ。ちゃんと言わなきゃ――― 

「ぁ…Aく――――― 
俯いてた顔を上げて口を開きかけた。 

「あ…そ、そう言う事じゃなくって…そ、その、紺野は大事な友達だし……」 

「ぇ?…ぁ…」 
そう言う事…って…? 
落ち着きのない彼の目を見ながらちょっと考えた。 

「そ、その………紺野に………か、かれ……し…出来るまでの間の替り…って事で…」 

「…ぁ…ぅん……」 

替り…… 

―――A君は愛ちゃんの替り?――― 

―――愛ちゃんはA君の替り?――― 

違う! 

愛ちゃんもA君も好き。誰よりも好き。どっちも一番で…… 
でも相手にしてみればそれは…… 

「こ、紺野?」 
「あ、ぇと…な、何だっけ…?ちょ、ちょっと余計な事考えてた。…うん…」 
「…」 

余計な事じゃない。凄く重要な事。ちゃんとケリをつけなきゃいけない事… 
けど、咄嗟に口から出たのはそんな言葉だった。 

「…ちょっと聞いていいか?」 
暫し無言でいたA君が口を開いた。 

「え?いい…けど。…何?」 
「こ、紺野…好きなヤツ……居るのか?」 
「え!?あ……ぇ…と……」 

突然のその質問に驚いて、おもわず彼の顔を見上げた。 
言い澱んじゃったのは愛ちゃんの顔が目に浮かんだから… 

「あ…やっぱ、いい。聞かなかった事にして」 
片方の手のひらを私に向けてそう言いながら、彼が横を向いた。 

「い、居る…よ」 
俯きながら言った私の答えに彼の足がピクリと動いた。 

「…そう…だよな」 
「でも…別れようって言われた。…先週……」 
あの日、雨煙の中で愛ちゃんが無理矢理作ってた笑顔が目に浮かんだ。 

無言になった彼を見上げた。どこか痛そうで悲しそうな顔をしていた。 
A君のそんな顔も見たくなくってまた俯いた。 

「…でも、そいつの事好きなんだろ?紺野」 
搾り出すみたいな彼の声。さっきよりも痛そうな顔をしているのが想像できた。 
だけど無理矢理明るく振舞おうとするみたいな顔が… 

あの時の愛ちゃんと同じ顔が… 

「…うん。…好き……大好き」 
そう言いながら、”大切な事”の形がぼんやりと見えてきた。 

「……なら、頑張れよ。応援するから」 

応援… 

『あーしは2番でええよ』 
『じゃあの』 

好きな人の心は独占したい。けど、その人の悲しんだり悩んだりしてる顔なんてもっと見たくない。 
好きな人の笑ってる顔が見れるのなら自分が我慢すれば… 

愛ちゃん…そうか……ごめんね。 

やっとその事に気がついた途端、 
昇降口で彼の顔を見た時と同じく、また涙が溢れ出した。 

「こ、紺野…」 
また泣き出した私に驚いたのか、タタキに裸足のまま下りた彼が、 
私が中途半端に開けていた玄関扉を慌てて閉めた。 

「ご、ゴメン…ゴメン…」 
「紺野が謝る事は何もな…あ、お、おい…」 

泣き顔を見せたくなくって彼のシャツを掴んで顔を埋めた。 
そんな私に更に戸惑いながらも、A君は私の背中に腕を回して抱いてくれた。 

さっきよりももっと優しく感じるその温もり。 

それがあの日の彼との事、愛ちゃんとの事、匂い、温度、仕草、表情、それら全てを思い出させてくれた。 

そしてはっきりと形になった大切な事。 

―――彼も愛してくれている。愛ちゃんも――― 

だからこそこうやって………私が我侭なのが悪いだけなのに……私の替りに傷ついて…… 

―――悲しいのは私よりも愛ちゃんなんだ――― 

「ェグッ…ゴメン…ゴメン…ェグッ…」 
「だから紺野が謝る事は…」 

「ちがっ…ェグッ……」 
「もう、いいから…」 

優しく頭を撫でてくれる彼の気持ちが痛かった。 

彼の事も好きながら、 
愛ちゃんの事は絶対に離したくない。絶対に取り戻さなきゃ。っていう想いを持っている事。 
そしてそうする事で、今度は彼を傷つけかけている事に、「ゴメン」という言葉を繰り返すばかりだった。 

でも二人とも離したくない。我侭なのは解かってる。 
けど、その我侭を隠したままで相手を傷つけるよりも、 
その事をハッキリと相手に伝え、その結果嫌われてもそっちの方を選ぼうと思った。 

愛ちゃんにもハッキリ伝えよう。 
「私はA君が好き」って。「離したくない」って。 
そして「愛ちゃんの事も離したくない」って… 

…A君には… 

……A君に愛ちゃんの事を言ったら許してくれるだろうか。 
普通じゃない同性との恋。肉体関係まである深い関係がある事を。 
そんな事をしながらも「あなたが好き」って言ったら… 

A君と愛ちゃん。男の子と女の子。二人とも同じくらい好きって言ったら… 

でも、言わなきゃ…… 

「ゥエグッ…わ、たし―――― 
彼の胸に顔を埋めたまま、その告白をしかけて思い留まった。 

――――愛ちゃんの事をA君はどう思うんだろう―――― 

私が変な目で見られても我慢出来る。 
でも、愛ちゃんがそんな目で見られたら…… 

愛ちゃんに向って嫌悪感を滲ませた目を向ける彼の表情が思い浮かんだ。 

ヤダ 

でも、彼ならそんな酷い事は……偏見の目で見る何て事は…… 

そう思い返しながら、結局その後の言葉はなんにも見つからなかった。 

そしていつかは何らかの形で言わなければいけないその告白を、 
愛ちゃんの了承無しでは言う訳にはいかなかった。 

「愛ちゃんの事が好き」って。 
「愛ちゃんの気持ちもカラダも好き」って… 
「同性ともえっちしてる」って…… 

「もう落ちついたか?」 
無言のままで私を抱き締めながら、頭を撫でてくれていたA君が優しい声で話かけてくれた。 

「ェグッ…うん。ゴメンね。…ありがと」 
「だから、謝る事なんて無いって…」 
「でも…なん、ヒャグッ!か……ヶホッ………」 

私の変なえずきにA君がちょっとだけ笑った。 

「俺…紺野の事好きだから、何があっても応援するから」 
「…ぅん…ありがと。……私もA君の事、好きだよ…」 
「え?あ…あぁ……」 

彼の胸から顔を離し、見上げた顔が慌てたように横を向いた。 
私を抱いてくれていた腕も離れて行った。 

離れかけた彼の手を追う。 
人差し指の先だけを捕まえた。 

我侭だけど、好きで居させて欲しい。 
俯いたまま、そんな気持ちを込めて、指先を握った手にちょっとだけ力を込めた。 

軽く握り返してくれた彼の手は、大きくって温かくって、いつまでも離して欲しくなかった。 

愛ちゃんも多分これを待ってる筈。 
一人ぼっちでその寂しさに堪えながら。 

早く行かなきゃ。でもどうやって伝えれば…… 
その手段も思いつかないまでも、とにかく行動に移さなきゃならないと思った。 

「…じゃ、そろそろ帰るね」 
そう言った私の手から、彼の手が離れて行った。 

「あ、あぁ。またな」 
離された手がちょっと寂しい。また一人になるのは…… 

「あ、明日って暇?、かな」 

「土曜だし学校はないから暇っちゃ暇だな。 
まぁ、結局勉強しなきゃいかんから、忙しいっちゃ忙しいけど」 

「じゃ、明日…遊びに来てもいい…かな?」 

「いいけど……」「また一人で寝たら、今度は襲うぞ!」 
若干冗談みたいにそう付け加えた彼。 

「いいよ」 
「えっ?あっ…じょ、冗談だって」 
「な〜んだ。残念!」 
「お、おい!こ、紺野…」 
「冗談だよ〜だ。A君のえっち!」 

苦笑いしてる彼に向って小さく手を振って、私は真夏の日差しの中に舞い戻った。 


まだまだ陽の高い真夏の陽射し。 
それとは似つかわしくない重い心。 

思わず彼に言ってしまった言葉。 
結局いいように誰かに甘えてる自分が嫌だった。 

それを自覚しておきながら、愛ちゃんに貰えない温もりを欲するように、 
この日以来、彼と頻繁にカラダを合わせるようになって行った。 

えっちの最中は、触れてくる温もりや刺激に愛ちゃんを重ねながら。 
別れる間際、彼に対して心の中で「ゴメン」っていう言葉を毎回繰り返しながら。 


あの日、家に帰ってマコにメールをした。 
愛ちゃんへの転送をお願いしたメール。 

「愛ちゃんが好き。A君もやっぱり好き。二人とも一番好き。二人とも離したくない。 
ホント我侭でゴメンね。でも、愛ちゃんが好きです。ちゃんとした恋人になって下さい。 
誰に何を言われても愛ちゃんを守るから。いつまででも待ってるから。―――紺野」 

すぐさま驚いた声でかかってきたマコからの電話も 
「ゴメン!お願い!」 
とだけ言って電源を切った。 

携帯の電源は、その日以来入れる勇気が出なかった。 


エピソード]U-歪み- (了) 
- Metamorphose 〜変態〜 (番外編05) -